娘が生まれた日のこと
娘が生まれて今日でちょうど半年経ち、毎日のほほんと過ごしているわけですが、
出産の日がとても印象的な一日だったので、色々忘れないうちに記しておこうと思います。
だいぶ長いので、お暇な時にどうぞ。
予定日2日前の朝。
トイレでおしるし(いわゆる「もうちょっとで赤ちゃんが生まれるよ〜」的なもの。無いまま出産される事もあります。)を確認し、
おや?そろそろ生まれる?とソワソワした気持ちになっていました。
しかしその日の検診では、医者から「子宮口も閉じてるし、まだ生まれないかな。よく運動してくださいね。」とアッサリ言われ、そのまま何事もなく診察を終えました。
「運動、分かりました!」と元気いっぱいに答えつつも、内心(運動か〜マジか〜ダリ〜〜〜〜〜)と心の中のヤンキーがダルそうにしていたので、
その後自宅まで約20分歩いて帰宅した後、取り立てて何か運動をする訳でもなく、
かといって出産は避けて通れないので、
『赤ちゃんが生まれてくるジンクス』のひとつである、「オロナミンCを飲む」というのを試してみたくなり、夫に買ってきてもらいました。
要するに楽してお産を進めようとしました。
その後オロナミンCをグィーッと飲んでからも、
「おしるしがあってもすぐ陣痛に繋がる訳じゃないし、初産は予定日より遅れるって言うし、まだ先だろうね〜」という感じで、
そのまま夜まで何事もなく、普段通り床についたのですが、
ベッドに横になってから1時間経っても2時間経っても、お腹と腰がチクチクし続け、どうにも寝られる気がしない。
このところ夜によくある痛みだったけど、やたら今日は長く感じる。
かといって耐えられない痛みでもない。
例えるなら、みつばちハッチのママが持っている謎の棒で下腹部をグリグリ刺されてる感じ。
しかし、徐々に間隔が短くなってくる痛みに身体を丸めながら
「…ハッ、これはもしかして、陣痛というものでは…!?」
となり、アプリで痛みの間隔を測ってみると、
5分ほどの定期的な間隔に。
痛いのが30秒ちょい、全然痛くない無の時間が5分という感じ。
こ、これは…!紛う事なき陣痛や…!!
となったので、あわてて夫を起こして夜中の3時にあらかじめ登録していた陣痛タクシーで病院へ。深夜だったので道も混んでおらず、5分足らずで到着。
ただ、私の場合は痛みに強いというか、普段からお腹を壊しやすいため腹痛そのものに慣れているというのもあって、
この時の陣痛も大した痛みではないように感じられ、病院に着いてからも割と平常心で普通に歩いていたのを覚えています。
一旦家に帰されたらどうしようと内心ヒヤヒヤしていたのですが、
ノンストレステスト(お腹に何かしら巻いて陣痛の波を見る機械)の結果、いい感じの陣痛の波が来てるからということで、
その日のうちに入院ということになりました。
私はてっきり自分の個室(すごくロココ調の部屋だった)で陣痛に耐えるのかなと思っていたのですが、
分娩服に着替えてから、ベッドと簡単な椅子と小さなテレビのある、なんとも質素な陣痛室に通されました。
1〜2時間に一度ほど、たまに助産師さんが見に来てくれるのですが、
お産が進まない限りは基本的に放置されていました。
ちなみに旦那は昼前までしばらく横についてくれていたのですが、特にやる事もないので一旦家に帰ってもらいました。
私も夫もドライです。
昼頃になってくると、夜中からのハッチのママの攻撃に加え、骨盤を内側から思いっきり押し広げられるような腰の痛みが加わってきました。
助産師さんが温かい小豆を包んだ袋を腰に当ててくれたり、
「これに乗ってボインボインしたら痛みが結構和らぎますよ」とバランスボールを持ってきてくれたりと、
とにかく助産師さんの気遣いがとてもありがたかったです。
しかしその後、「これ、ちょっとあっちに持っていきますね〜」と、割と早い段階でバランスボールを取り上げられてちょっと悲しかったです。
もうちょっとボインボインしたかった…。
その後、連絡を受けた私の母が飛行機でヒューンとやって来ました。
正直私はジッと痛みに耐えている時に、たとえ実の親であろうとも第三者から身体を触られる事が本当に嫌なので、良かれと思って背中とか手とかさすってくれている優しい母に対し、ものすごくドスの効いた低い声で
「ちょっ…触らんといて!そっとしといて!!!」と、アイドルもビックリの塩対応をかましてしまいました。
それ以降はひたすら痛みに耐えることに集中していたのであんまり覚えていないのですが、夫は夕方くらいに気がついたら戻ってきてました。
なんかずっと小説読んでた。
額に脂汗を滲ませながら必死にフゥーーーーフゥーーーーと痛みを逃してる私を尻目に、
なんかずっと小説読んでた。
5分だった陣痛の間隔が3分、2分と徐々に短くなったので、陣痛室からいよいよ分娩室に移動し、お産が進むのを待つのですが、
母は私におさわり禁止を告げられたのでただただ見守ることしかできず、
仁王立ちで色んなところにつかまりテニスボールを腰に当て、バキバキと割れるような骨盤の痛みにひたすら耐える私、それを無言で見つめる母、そして淡々と小説を読み進める夫という、
地獄の三者面談タイムがしばらく続きました。
どうでもいいけど陣痛室にはゴルフボールもありました。やたらボールの多い病院。
呼吸に意識を集中させ、とにかく無言で耐え続けるステージから、
もう居ても立ってもいられないほどの痛みで思わず「うぐぐっ」と声が出る、というステージに入ってくると、
なんやかんやでそろそろ生まれそうなので、という事で夫には一度分娩室から出て行ってもらい、
母と助産師さんと私だけになったのですが、
(呼吸!とにかく呼吸!!)ということに意識を全力集中していました。
なので痛い事この上ないのですが、ずっと呼吸を乱さないことに意識を向けていたので、頭の中はとても静かな世界で、かなり冷静でいられたと思います。
助産師さんにも呼吸が上手で赤ちゃんがうまく下りてきてるよと褒められて、良い気分になっていました。
私の陣痛が弱めで、もっと陣痛を進めるために促進剤を使いましょうか…と助産師さんが母に提案してきた時に、(それは嫌ですゥゥゥゥゥゥ)と意地でも自然分娩で産んでやるという気持ちが働き、
促進剤を使うことなくいけそうだと助産師さんがめっちゃ褒めてくれたので、私凄いやん…やるやん私…となってニヤニヤしていました。
ただ、生まれる直前まで母が私の隣でずっと
「フーーーーッ!!フーーーーッ!!!」と産むための呼吸を全力で一緒にしていて、
いやアンタは何を産む気なんだよという思いからメチャクチャ笑いそうになり、
クライマックスになってもイマイチ力が入りませんでした。
今思えば母は立ち合いに居なくても良かった。
いよいよ生まれますよ、というタイミングでようやくお医者さんが登場し、ハサミでチョキンとしてドゥルルンと生まれてきました。
予定日の一日前に爆誕。
最初の陣痛から17時間半、壮絶で大変で、それでもとても豊かな時間でした。
ちなみに娘は生まれてくる時に羊水をたくさん飲んでいたせいで少しの間呼吸が止まっていたため、
産後すぐに保育器に入って救急車でNICUがある遠くの大きな病院に搬送されて行きました。
なので生まれた直後の一瞬しか抱けず、
別々の病院に離れ離れになっていたので入院中も娘の姿をじかに見ることも無く、
向こうの病院で夫が撮ってきてくれた娘の写真だけをひたすら見続け、
他のママさん達がやっている沐浴体験も授乳もせず、
ただ延々とベッドに横たわっているだけのとても寂しい産後入院だったのですが、
「今のうちに身体を休めておくんだよ」という娘からのプレゼントかなと言い聞かせることで、出産直後の身体をゆっくりと休ませることができたと思います。
いや、それにしても産後のアレは寂しかった。
母も一緒に私の方に付き添い入院してくれていたので気は紛れましたが、私一人だったらもう目も当てられないほど落ち込んでいたと思います。
やっぱ母、来てもらってよかったな。
部屋のソファーに横たわって再放送の相棒と科捜研の女ずっと見てたけど。
幸いなことに娘はその後の検査で特に異常もなく、一週間ほどで無事に退院することができました。
私の方が先に退院していたので、娘を連れて帰れる日がとても待ち遠しかったことを覚えています。
娘が退院したその足で、もともと産まれた病院に戻り、娘と私で一泊二日の育児レクチャーのための短い入院をしました。
沐浴や授乳のコツなど、看護師さん達が丁寧に教えてくれました。娘を取り上げてくれた助産師さんが、「おかえりなさい!」とすごく喜んで出迎えてくれたのが本当に嬉しかったです。
その夜娘と初めて同じ部屋で一緒に過ごしたのですが、NICUの看護師さん達が「よく泣く子よ〜(o^ ^o)」と言っていた通り、すごいパワーでフルボリュームで泣く子で、とんでもない赤子を産んでしまった…と途方にくれたりしました。
今ではたまに(ハア… 一人の時間もうちょっと欲しい…)となることもありますが、そんな時は離れ離れになっていたあの一週間のことを思い返したりしています。
これからも元気でスクスク育ってね。
ところで私は出産に際して里帰りせず、
通院していた自宅から徒歩圏内の病院で出産することにしたのですが、
これが私の場合は大正解でした。
実家が嫌というわけではありませんし、実家の家族のことは普通に好きなのですが、
夫の生活力の高さと、今の住環境が私には最も暮らしやすく、私も夫もストレスフリーだということから、
自分の心と体が落ち着くところでゆったり子育てをしたいと思い、実家へは帰りませんでした。
血の繋がった実の家族ほど、時に思いがけず最も煩わしい存在になり得ることだってあると思います。
なので実家へは去年の秋以降、未だに帰っていません。娘がもう少し大きくなったら帰省するかも。
もうひとつ、私の利用していた病院は「マタニティリゾート」を謳っているだけあって、病院というよりは完全にリゾートホテルのようでした。
もう一生に一度のことなのだからと、ここぞとばかりに贅沢をさせてもらいました。
全室完全個室のキレイなお部屋で、毎回の食事も和・洋から選べるシェフのコース料理だったのが最高に嬉しかったです。
毎回シェフ自ら部屋まで運んできてくれました。
朝食の後と夕飯の後には特製の甘いおやつが、これまたシェフによって運ばれてきました。
ベッドも無意味にダブルサイズ。
毎朝ルームキーパーさんがお部屋のお掃除に来てくれました。
退院前日の豪華なお祝いディナーも美味しかった。
産後にフットマッサージのエステもついてました。
お部屋のアメニティーがマークスアンドウェブでした。
何よりもお医者さんに助産師さん、そしてスタッフさん達の対応の全てが本当に最高オブ最高でした。
なんかご飯のタイミングの度に館内放送で病院の名前をエレガントに歌う謎のコーラスが流れてて、それがすごい気になったけども。
ただ産後から退院前日くらいまでお腹の調子が凄まじく悪くなってしまい、せっかくの美味しい料理があんまり食べられなかったのが本当に心残りです。
ごめんやで、シェフ。
おやつの草もち、すごい美味しかったで。
最後に、これは普通の日の晩御飯。
豪華なお祝いディナーの写真はなぜか撮っていないという痛恨のミス。